座禅体験2 -喝っと言うのは張本だけ?!

考え方

初めての座禅体験

先日のブログ「座禅をして無の境地になると過去の記憶が走馬灯のように」に書きましたが、京都のしょうりん寺で座禅の体験をしてきました。少林寺ではありません。勝林寺です。その話の続きです。

渇!というのは今では張本だけ?!

座禅と言えば、姿勢が悪かったり煩悩があったり良からぬことを考えていると、「ビシッ」と叩かれて渇を入れられるというイメージがありました。

ところがちょっと違いました。座禅中に住職が回っています。近くに来たときに打って欲しい場合は合掌します。それを住職が見つけて前に立ち、お互いに一礼したあと、右肩に「ビシッ、ビシッ」。続けて左肩に「ビシッ、ビシッ」と、計4発の渇を頂きます。結構痛かったです。

姿勢が悪かったり煩悩があったりエロいことを考えているとそれを見透かされて渇を入れられる訳ではありませんでした。

今や張本だけなんでしょうか? 「チョレイ!」じゃなかった、「喝っ!」って言うのは。

精神注入棒での渇は体罰なので禁止です

私が小学生のころ、担任のA先生は「精神注入棒」というのを持っていました。宿題を忘れたり、授業中に騒いでいたり、タバコをすったりしていると(そんな子はいませんでしたが)、精神注入棒でケツをビシッと叩かれました。(ちなみにA先生はいい先生でした。)

今では、そういった体罰を行うと問題になってしまいます。部活などでは未だに行われているところがあるでしょうが、公になれば問題視されます。

座禅の渇も体罰扱い?

もしかして、座禅の「渇」も体罰扱いされてしまったのかな? と私は疑問に感じました。なので本人の希望があったときだけ叩くのでは? だとするとちょっと残念な気もしました。伝統的な座禅までそんな風に扱われてしまったのかと。

渇を入れてもらって引き締まったあべっかんでした。

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